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日文兒歌的ちょうちょう(中文:小蜜蜂, 德文:Hänschen Klein)

id2437 wrote:
阿標哥的媳婦. 話說...(恕刪)

阿標哥是例外啦~
你說的那件是我大概知道,你以前有說過,
我覺得你沒結婚的生活似乎比較快樂!!
雖然結婚後生個ロリ也是很幸福
果然還是原來的德文版最美, 還押韻.

Hänschen klein ging allein in die weite Welt hinein. 
(ein結尾)

Stock und Hut steht ihm gut, ist ganz wohlgemut,
(ut結尾)

Aber Mutter weinet sehr, hat ja nun kein Hänschen mehr.
(ehr結尾)

"Wünsch dir Glück," sagt ihr Blick, "Kehr nur bald zurück!"
(ck 結尾, 其實 ück跟 ick 音很接近)
Artige Kinder fordern nichts. Artige Kinder kriegen nichts.
「ちょうちょう」の謎(野村秋足作詞/スペイン民謡)


ちょうちょう ちょうちょう 
  菜の葉に とまれ
  菜の葉に あいたら
  桜にとまれ 桜の花の
  花から 花へ
  とまれよ 遊べ
  遊べよ とまれ

.「ちょうちょう」には、二番の歌詞があった
意外にも「ちょうちょう」には、二番がありました。現在、二番を歌える人がどれだけいることでしょう。ほとんど歌える人はいないのではないでしょうか。二番では一転、なんと雀の歌になっしまいます。作詞者も稲垣千頴という全くの別人です。歌詞は次のような歌詞です。

  起きよ 起きよ ねぐらのすずめ
  朝日の光の さし来ぬ先に
  ねぐらを出でて 梢にとまり
  遊べよすずめ 歌へよすずめ

韓国にも、同じ歌があった

「ちょうちょう」と同じメロディーで、歌詞もよく似た歌があります。韓国では歌の中に、蝶と雀がでてきます。この奇妙な一致はどういうことでしょう。
実はこれには、歴史的な経緯がありました。日本は先の大戦で、朝鮮に満州国をつくり、日本語での教育をおこないました。このとき歌も一緒に歌われたのです。唱歌として「ちょうちょう」の歌を歌ったのでしょう。それがやがて言葉を換え、韓国の歌として根付いたわけです。ハングルの「ちょうちょう」は、次のような歌詞です。
  「ちょうちょう」(試訳)
  ちょうちょう、ちょうちょう、こちらに飛んでおいで。
  黄色いちょう、白いちょう、踊っておいで。
  春風に、花びらも、にこにこ笑い、
  すずめも、チュンチュンチュン、歌って踊る。

.「ちょうちょう」の歌詞の変遷

もともとこの歌は、尾張地方で歌われていたわらべ唄「蝶々」でした。もとの歌詞はこうです。
  蝶々とまれ
  菜の葉にとまれ、
  なのはがいやなら
  この葉にとまれ。

明治時代に野村秋足が名古屋近辺の童謡を収集する仕事をおこないました。その際わらべ唄「蝶々」は次のように改作されています。

  蝶々蝶々。菜ノ葉に止レ。菜ノ葉ニ飽タラ。
  桜ニ遊ヘ。
  桜ノ花ノ。栄ユル御代ニ。止レヤ遊ベ。
  遊ベヤ止レ。

「小学唱歌集」では、上記の歌詞でしたが、戦後の昭和22年に文部省は『一ねんせいのおんがく』を発行し、ここで「栄ユル御代ニ」が「はなからはなへ」にかわります。また二番は削除されました。前者は超国家主義的なものを排除するという編集意図からして、後者は歌の主題を散漫にしないという配慮が感じられます。

蝶々は桜の花にとまるのか

さてここまできて、蝶々は桜の花に止まるかどうか、その可能性を考えてみました。
 (1) 桜には蜜が出ないから、蝶は止まらないのではないか
 (2) 原曲である尾張地方のわらべ唄なら、不自然ではない
 (3) 野村秋足の改作も、不自然ではない
 (4) 昭和22年の改作に、原因があるのではないか

(1) 桜には蜜が出ないから、蝶は止まらないのではないか
 先にも述べたように、桜の若葉には蜜線があることがわかりました。したがって、蝶が若葉の蜜を求めて桜に止まる可能性が考えられます。

(2) 原曲である尾張地方のわらべ唄なら、不自然ではない
 原曲では、 なのはがいやなら / この葉にとまれ  となっています。”この葉”は、桜を特定しているわけではありません。したがって、この歌詞のような状況は考えられます。

(3) 野村秋足の改作も、不自然ではない
 野村秋足の改作により、 菜ノ葉ニ飽タラ / 桜ニ遊ヘ  となりました。これについても、桜に蜜腺があること、歌詞は”とまれ”ではなく”遊ベ”なので、蝶が桜の辺りを飛ぶ状況は十分に考えられます。

(4) 昭和22年の改作に、原因があるのではないか
 では、文部省が『一ねんせいのおんがく』を発行する際の改作、 菜の葉にあいたら / 桜にとまれ に原因があるのでしょうか。蝶が桜(の花)に止まるという意味の歌詞になっています。ここで、事実とは異なる歌詞が生まれた可能性が考えられます。

果たして、蝶は桜の木にとまるのでしょうか? 結論から言うと、蝶は桜の花に止まります。モンシロチョウがその蝶である可能性が高いです。蝶に関するHPを解説している方に問い合わせをしたところ、次のメールをいただきました。(引用許可ずみ)

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